Promising Young Woman / プロミシング・ヤング・ウーマン

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29歳、医学部中退、カフェ勤務のキャシーは、過去の "ある出来事" が忘れられず、自分の人生もそっちのけでクズ男たちへの制裁に燃える日々を過ごしていた。しかし、大学時代の元クラスメイトとの偶然の再会によって、彼女の運命が大きく狂いだす――

事前情報をほぼ入れず言ったので、話がどこに進むのか全く分からず、最後まで心をかき乱されたまま終わってしまった、という感じでした。コメディあり、ロマンスあり、スリラーありで、正直ラストの展開も笑えるんだけど、同時にものすごく悲しくて切ないという不思議な感覚に包まれながら劇場をあとにしました。

正直「好き」とも「嫌い」とも言いにくいのはラストの展開のせいかな、と思います。ここをどう受け取るかで賛否が決まりそう。私の感想はネタバレありで追記に書きたいと思います。

 

フィクションじゃない、私たちの日常

主人公のキャシーは、「毎晩バーに出かけ、泥酔した(ふりをした)自分に近寄ってくる自称『いい人』な男たちにわざとお持ち帰りされ、意識もほとんど無い(ふりをした)自分と性交渉をしようとする男性たちに制裁を加える」ことで、過去のトラウマを乗り越えようとしている。

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本作の軸となる「合意のない性交渉」がどれだけ日常的に発生しているか、そしてその告発がいかに難しいことなのかは、女性ならば痛いほどわかるはず。おそらく男性側は、レイプとすら認識していないこともほとんどではないか。しかし恐ろしいのは、その被害にあったことのある人ですら、「あの人がそんなことをするはずない」と、加害者側に回ることだって珍しくないということ。本作は、そんな私たちに痛いくらいに現実を突きつけてくる。(もちろん被害者加害者の性別が固定ではないことは分かったうえで、本作で扱っているものが男性→女性であることから、その前提で話を進めます。)

タイトルの "Promising Young Women(前途有望な若い女性)" はおそらく、レイプ加害者の男性をかばうために使われる ”Promising Young Men(前途有望な若い男性)" という言葉への皮肉だろう。一体いままで、何人の ”前途有望な女性” たちの心と体が、 ”前途有望な若い男性” たちの「輝かしい未来」のために殺されてきたのだろう? しかも悲しいかな、Victim Shamingなどの加害者を守り被害者を非難する立場を、女性がとることも珍しくない。どれだけ声をあげ立ち上がっても、結局は彼らを守り被害者を叩く社会では虚しく響くだけ。

主人公のキャシーは、そんな加害者たち、そしてそれを見て見ぬ振りした「傍観者」たちに次々に復讐していく。しかしこれにカタルシスを得て「スッキリ」とは言えない作りになっているのは、この映画の内容が私たちの「現実」であり、そして私たちの生きる現実には、カタルシスが訪れることなどほぼないからだろう。

 

キャストについて

豪華キャストたちが脇役で登場することにびっくり。アダム・ブロディにはじまり、クリストファー・ミンツ=プラッセ、そして私の好きなマックス・グリーンフィールドまで…!OPで彼の名前出てるのをみて出演を知り、本編中ずっと登場を心待ちにしていたのですが、思ったより出演時間が少なく、そしてめちゃくちゃダサいクズ男だったのでちょっと複雑な気持ちになった...(ドラマ『ヴェロニカ・マーズ』でめちゃくちゃいい役で、そこで惚れただけに)でも短い出演時間でも強烈な印象を残すクソ男だったけど笑

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あまりクズ野郎役のイメージがないキャストはあえてだったようで、監督のエメラルド・フェネルは、「ヤなやつだと思ってる人が最悪なことをしていれば責めるのは簡単だけど、自分が好きで尊敬している人が相手の場合はそれが困難になるから」だと語っていました。「この人のことが好きだから、こんなひどいことをしたなんて本当に残念…でも好き!」「この人のことが好きだから信じない」となるだろうと。( Emerald Fennell on casting sweet men in Promising Young Woman | EW.com )

正直自分も、好きな俳優やアーティストに対しては同様の反応を取ってしまっているのでめちゃくちゃ耳が痛いです。

そのほか、『オレンジ・イズ・ニューブラック』のラヴァーン・コックスは本作でも最高オブ最高でしたし、ボー・バーナムはスタンダップコメディのイメージだったので(あと監督作の『エイス・グレード』も良かったですね…)俳優も出来るんだ!と驚きでした。言わずもがなですが、キャリー・マリガンの演技は素晴らしかったです。あとどんな服も着こなすのでついついそっちも目で追ってしまいました…

 

パリス・ヒルトンとブリトニー

この映画を観て印象に残るのは、Paris Hilton - Stars are BlindとBritney Spears - Toxicのオーケストラバージョン。どちらの曲もキャシーと同年代であれば絶対に(というのは言い過ぎだろうけど)知っているであろう2曲で、それらがこの映画の「色」とも言えるくらい、強烈に記憶に刻まれる使い方をされています。

パリスは過去にセックステープの流出に苦しみ、最近では自身のドキュメンタリー『This is Paris』で過去の虐待経験を告白。ブリトニーは現在進行形で、父親からの過度な精神的・肉体的・経済的な管理から解放されるために戦っている最中(知らない方は#Free Britney で検索してみてください)。単純に監督はパリスとブリトニーのファンであるということもあるみたいだけれど、それらの背景を考えると2人の曲が使われているのも必然という気がする。

 

と、いうわけで『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、確実に今見るべき映画の1つだと思います。好き嫌いは置いておいても、この映画を観て「何も感じない」人はいないはず。

 

以下、ネタバレありの感想です。

※特にラストについて触れるので、まだ未鑑賞の方は自己責任でどうぞ。

 

 

 

 

 

復讐のために生きて、復讐のために死ぬ

キャシーが失踪したあとに両親が「やっと昔のキャシーに戻ってきたところだったのに」というようなことを言っていたけれど、きっと親友のニーナが亡くなった時点で、キャシーの心も死んでしまっていて、戻ってくることはなかったんだろうと思う。

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「彼氏も、仕事も、子供も、欲しかったら手に入れてる」と言っていたように、そんなものはどうでもよくて。彼女の人生の目的はもう「ニーナの復讐を果たすこと」になっていて、自分の人生を生きることは放棄していたんだろう。しかし、ニーナの母親から「もう忘れて」と言われ、自分の人生を取り戻しかけていた彼女が、最終的には「復讐」のために死んでしまったことがなんともやりきれない… しかもそのlast straw(最後のとどめ)だったのが、信じていた男性からの裏切りというのが、悲しい。

最後の復讐であるバチェラーパーティへも、「自分は生きて帰れない」と覚悟して、もしくはもう生きて帰る気もなく向かっていったのは自殺と同じだろう。

この映画を観て敬愛するデヴィッド・フィンチャーの某映画を思い出したのだけれど(名前を出すとネタバレになりそうなので伏せますが、予告編のリンクを貼っておきます)、どちらかというとあっちの映画の方が好きだな。復讐のために死を選び、しかし最後に不死鳥のごとく蘇りすべてを手に入れるあの展開のほうが。

正直、ベッドに横たわるキャシーの姿を見ながら、何度「早く起き上がって奴らを刺し殺して!」って思ったことか。そうなることをどれだけ願っていたか。ただ先述したように、現実には私たちが復讐出来ることなんてほとんどないし、殺されている女性の方が多い。そこを”あえて”カタルシスを感じる展開にしなかったことは理解できるし、このラストだからこそ、熱狂的に愛する人もいるんだと思います。

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